Amezariz Blog

アイドルプロジェクト「アメザリズ」の公式ブログです。

「この歌詞私のこと」か?

今日も元気におかわり無料、どうもおにぎり(光)です。アメザリズで俺待ちの時間生まれがち。申し訳ないねえ。待たれてないほうのブログでも書いてお茶濁すか。まるで急須でいれたような濁りのうま味をご堪能ください🍵

歌詞の役割

 「歌詞が良い!」というとき、評価されているのは何なのでしょうか。メロディラインに沿って言葉が配置されているか等の音声学的な観点からお考えの方もいらっしゃるかもしれません。しかし、概ね「この歌詞私のことだ……!」と思わせてくれるか、共感できるか否かではないでしょうか。fedibird経由でこの記事をご覧になっている方は、このことが対象化されたスタンプをご存知のことでしょう。

共感を得る手だて

 では、歌詞の共感のしやすさを決める要素は何か。それは、適度な具体性と、聴く人の抱える感情の正当化です。

具体性について

 まず、前者について説明しましょう。あまりに具体性が大きければ、「この歌詞は自分とは別の誰かの話をしている」と判断されかねません。感情は共通していても、そこに至る具体的事情を描いてしまうと、共感できなくなる人たちが一定数出てくる。

 かといって、一切具体性がないとわけがわからない。「あぎゃぁぁぁ!!!」などと怒りの咆哮をしていても、「うわぁ……」と思われてしまうだけです。

 したがって、たとえば怒りの場合は「まあ大体の人間はうまくいってなくて、かつその原因は他人にあると思ってんだろw」ぐらいの雑な決めつけをして、サビの歌詞には「アイツを殴りに行こうか~」とか「ヤツには負けない~」とかを盛り込むわけですね。怒ってるなら誰にでも当てはまるようなことを書き連ねれば良い。

 なお、サビ以外の部分は、多少具体性が過剰で自分とずれていようが、繰り返し流されるサビの頻度とインパクトに引きずられて気にしなくなります。いかに支離滅裂であろうが、メロディやサビ部分のインパクトで誤魔化せるのです。

 すなわち、喜怒哀楽のいずれかの感情に着目し、サビでその原因っぽいものに少しだけ触れつつその感情を実演した台詞を書く。これが重要です。

感情の正当化について

 以上、具体性のお話をしました。具体性は、「歌詞で扱われている感情と自分の今の感情とは同じだ!」と思わせる仕掛けでした。ここで、既にある程度感情の正当化の機能が果たされています。すなわち「うんうん、こんな感じ(漠然)のことがあったらそんな気持ちにもなるよねぇ、わかるわかる」は感情とその原因の指摘によってなされている。聴き手の感情がある程度整理されているわけですね。

 これに加えて、感情の正当化では、さらに、その感情になった際に吐くであろう言葉を、聴き手の代わりに歌詞として載せている点に意義があります。「これが自分の言いたかったことだ!」と思わせてくれるパンチライン。パンチライン以前にはそう考えていなかったとしても、ある感情を抱えた主体がなすべきこととして、感情の表明やそれに基づく言動を歌詞で描き出します。

代弁者はお前ちゃうわえ

 ということで、「大袈裟に共感してみせて、その共感に基づく台詞を代弁してみせる 」というのが良い歌詞の条件といえるでしょう。会ったこともない誰かに代弁されてもという感じもしますし、上記の考え方に対し「舐めんなよ」とお思いの方も少なくないでしょう。決めつけ、誤魔化し、身勝手な代弁。「こういうことを本当のあなたは聴きたかったし、また言いたかったのだ」という押しつけがましさ。

 しかし、残念ながら、このような聴き手に対す軽蔑が滲む歌は巷に溢れています。話し手として歌詞に、「自らの言いたいこと」を載せるのではなく、「お前らが聴きたいこと、言いたいこと」を捏造している歌は数多くあります。商業主義的には合理的な選択でもあるのでしょう。

リアル

 さて、こうしたフェイクソングの例を挙げることはしません。本来、言いたいこと、発するべきメッセージが先にあり、それを伝えた結果共感が得られる、という順序でしょう。不特定多数、「誰しも」からの共感を目的化しているように思われる曲は枚挙に暇がない。

 しかし、ここまで言った手前、「じゃあリアルな歌詞のある歌を教えてみろよ」というお声もあることでしょう。わかりました、『DEATH!DEATH!です。』をお教えしましょう。これが本物かどうか、是非皆さんの魂でご判断くださいね。これからリリースするからよ。結構なお手前🍵、というか手前味噌でした。